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2007年01月27日

海外で暮らすということ

中田英寿の旅?について、書いてるブログ(http://dabadie.cocolog-nifty.com/blog/main.htm)を見てて思ったこと。

わりとそのブログに書いてあることと近いんだけど・・・

海外で暮らすことってのは、平たく言ってしまえば、異なる考え方、文化と相対する、ってことなんだよね。

それは2つの意味があって

1つは、人間、異なる考え方に相対した場合、やっぱりそれなりにストレスを感じたり、混乱したりすると思うんだよね。でもなんとかそれを打開しようとして、頑張って、結果として異なる考え方との相対しかたが身についていく、っていう。平たく言えば、「コミュニケーション能力」が高まる、っていう。

もう1つは、日本ではあんまり無いような(まったく無い考え方ってのは今の時代無いと思うけどね)考え方が触れることで、「あ、なるほどそういう考え方もあるんだ!それはいい考え方だ」ってな感じで、考え方の「新しいバリエーション」が増える、っていう。色んな考え方に触れれば触れるほど、自分が「いいな」と思う考え方に出会う確率は高まるわけで。


でもどっちの場合も、同じ事は程度の違いはあれ日本でもできることなんだと思うんだよね。日本の中だって、世代間の考え方の違いが典型的だけど、考え方の違いはあるからね。ただ、海外に行けば、さらにそれの「度合い」がすごくなる、っていう。確かに「あー、なるほど、そういう考え方もあるんね」っていうくらい、違う考え方には出会うし。

でも日本にいるときに、日本でできる範囲で「違う考え方と相対する」こととある程度向き合ってないと、海外行くと「あんまりにも違いすぎて」面食らうかも。ちなみにおいら的には「違う考え方と相対する」ってのは「自分の価値観をクリアにすること」っていうのと表裏一体というか本質的には同じことなんだと思う。自分の価値観がきちっとあってはじめて異なることに向き合える、っていう。
自分の価値観がないと、異なる考え方に触れても、打開もできないし、考え方のバリエーションが増えることも難しいような気がする。基準となるものがないのに、相対することも広げることもできないっしょ、っていう。

それに、海外だろうが日本だろうが、行きつくところ「各個人の考え方」のぶつかり合い、っていう部分は同じだと思うんだよね。「○○人はこういう人種だから」みたいなコメントによく出会うんだけど、もちろん国籍と考え方に相関性がある程度あることは認めるけど、だからと言ってそれで決め付けるようなステレオタイプはどーかと思うんよね。だって、同じ日本人だってかなりの考え方のばらつきがあるんだから。

最後は相手の「個」として向き合うこと、それは自分の「個」と向き合うこととも通じるけど、それこそが日本であろうが海外であろうが、重要なんじゃないかな。だから、海外だから「すごく特別」というわけではなく、日本でできることの「延長線上」っていう感じなんじゃないかな、と。海外だから「なにか特別なものに触れられる」的あこがれってのは、うーん、どうなんかな~、って感じ。


日本だろうが、海外だろうが、自分は自分らしく、それを維持しながら、異なる考え方の中で「いい!」と思えるものはどんどん吸収する、っていうキホンは変わらないんじゃないかな、と。


んで、明日から1週間ベトナム出張っすー


投稿者 nakaita : 23:13 | コメント (0)

2007年01月24日

楽しい、ということ

今、Astroっていう、マレーシアのスカパーみたいなんで、オーストラリアオープンやってて
ヒンギスがプレーしてるの見てたんよね。


あんまテニス知らない人のために説明すっと、ヒンギスはすんごい若い頃(15,6くらい?)
に既にトッププレーヤーになって、でもその後、正確な理由は忘れたけんど、
たぶん燃え尽きみたいな感じで半ば引退みたいな状態になって、
でも数年前にカンバックして、まあ昔ほど圧倒的につよいワケじゃないけど、
上位にはいるし、なによりテニスを楽しんでる、っていう。


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最近いろんな人の生き方?を見たり聞いたり話したり・・・してて思うんは、
自分も含めて、たくさんの人が人生を「難しく考えてしまう」んよね。


おいらは人生「楽しく」ってのが一番重要なんやけど、
その楽しいってのは、飲んで騒いで・・・的な楽しさだけではなくって、
まあハッピーに感じるか、みたいな感じで、それは人それぞれ感覚違うから
言葉で説明するんは難しいんやけど。

たぶん、一番近い感覚は「子供がやりたいことを躊躇なくやる」みたいな
感覚に近い気がする。


たぶん、少なくない人が賛成してくれるんじゃないかな?


でも問題は「そうは言っても、そんなこと実際問題できなくね?」
ってとこにありやして。


うん、そうだよね。簡単ではない。いや結構難しい。


なぜって、「楽しく」とか言ってると
「仕事ってのは我慢が必要で・・・」
「そんなことできるわけないじゃない」
「会社ってのは組織なんだから、自分勝手なことを言ってはいけない」
「そんな子供みたいなコトを・・・」
みたいなお言葉ががんがんくるワケで(笑)

いや、まあもちろんそういったコト「も」重要だと思うんやけどさ、
「楽しい」って気持ちはそれ以上に大事なワケで。


優先順位の問題、だよね。


「楽しくなければやってる意味がない」って思う。
(もちろん日々毎日そう感じるワケはなくw、ふとした時に感じるもんなんやろけど)

なにより「楽しくない」ことは続かないし、身につかないし、故に結果もでない。

なのに周りがそれを「子供っぽい」等々のお言葉でどんどん洗脳しにかかって、
しまいにゃ「うん、それが大人になるってことなんだ」みたいなよくわからん
自己洗脳までに至るワケで。


まあかなりわかりやすさの為に誇張してるし、ある程度周りと折り合いをつけなきゃ
日々の生活に困っちゃうワケなんでやすけど、でもどっちが「優先順位が高いか」は
認識してないと、自分の願ってない方向に人生はすぐ行くワケで。


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ヒンギスはきっと今はテニスを「楽しんでる」んだと思う。

それは彼女が半ば引退→復帰、っていうリスクを冒して勝ち得たものなんじゃないかな。

我慢とか周りにあわせるって「努力」も必要やけど、そういう「楽しさの為にリスクチャレンジ」
ってのも立派な「努力」だと思う。

楽しいという「感覚」は信じるに足りうる大切にする気持ちなんだと思う。

周りの人が何と言おうとも、ね。

と、言ってたらヒンギス敗退(笑)

投稿者 nakaita : 23:54 | コメント (2)

2007年01月21日

部屋のそうじを

してくれてるんですけど、今。あ、そういうお手伝いさん?みたいな人がね。


すんごくきれいになっていってます、今。てか、いままでが汚すぎってことなんすけんどw

それにしても、そういうお手伝いさん的な人にお願いするなんて、人生初っつーか
日本だとそーゆーのってかなーりお金持ちみたいなイメージがあるんすけんど、
マレーシアやとお手軽価格?。


50リンギ(1500円くらい)で部屋のすみからすみまでピカピカにしてくれやす。

こっちは人件費が安いから、日本やとえらい高くなるものが安すぎ。
たとえば足つぼマッサージとかも、日本で行ったことないけど、たぶん比べたら
すげー安いんじゃないかな?


ふつーのお手伝いさんとかベビーシッターとかも、特にすごい裕福って感じじゃない
家庭でも雇ってるもんね。たぶんインドネシアとかから来てる人が雇われてるっぽい。


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こっちはまあ基本的に物価は安い。もちろん現地の人の給料も日本に比べたら安いんだけどさ。
それに言うまでもなく、日本の方が物質的?にはそりゃめぐまれてるし、だてに先進国じゃないな、
って思うことは多々あるし。


だから実際日本と比べてどっちが住みやすいかってのはなかなか一概に比べられないんやけど、
違う「豊かさ」があるのは事実やと思う。


生活費は安いし、あったかいし(さすがにずっと夏状態だと四季が恋しくなるw)、インフラも東南アジア
では一番整備されてるんじゃないかな?

たぶん、人によって「豊かさ」の感覚って違うと思うんよね。


日本やとコンビニをはじめとして「計算しつくされた」みたいな「豊かさ」ががんがんあるやん。
マレーシアやとそこまではさすがに発展してない。たぶん日本の数十年前、とかの感じなんかな。
でも物価とか家の広さとか、そういう「豊かさ」はある。


どっちが好きかは人それぞれの感覚次第、やね。

どっちもあれば最高だけどねw


投稿者 nakaita : 13:09 | コメント (0)

2007年01月16日

自分か変わると周りが「変わる」

って、今までとぜんぜん違うエントリーっすがw

まあネットも開通して、こんなことも書きたくなってきたんで。

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最近、とある人の日記を見てて
「自分の周りにいる人は、ホント視野の狭い人が多い!」
って書いてたんよね。

まあその人の大学にワタクシもいましたし、サークルも同じなんで、
結構納得できる部分が多いんですが(笑、まあ自分がその頃視野が広かったかは怪しいけどw)


いや、てかぶっちゃけ自分もよくそれは思うことがあるっちゃーあるけどね。

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日本に帰ってたときに、とあるサッカー関係者の方にお会いしたんすよね。

その人は、まあ平たくいうと有名な人で、偶然のつながりもあって、これで会うのは4回目、かな。
すごく親切にしてくれて、感謝なんすけど、
さらに言うと、その人の働き方-「おもしろい!」と思ったことはやってみる->結果、色んな分野の
仕事を同時並行でやってる-ってのが、まさに「あ、こうなったらいいな」って自分がイメージしてた
ことだったんよね。で、それを既に実践してる、っていう。

そりゃもう、刺激っしたよ、自分的には。


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とある後輩とも話す機会があって。その人はまあ「これからどうしようかなー」みたいな迷いを
抱えてる、みたいな感じ。話してるうちに、幸いその人も前向きに色々考えはじめたみたいだし(たぶん)
自分も色々話してると自分の考えが整理されてくる、みたいな感じがある。

なにより、人生を一生懸命がんばってる人と話すのは、「楽しい」し「刺激される」。

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って、まったく異なる2つの出来事っすが、おいら的には

「自分が(夢に向けて)行動を起こしたから、この人たちと出会えて、こういう話ができた」

って感覚があるんすよね。


前者は、出会いはラッキーそのもの(大学院時代の先輩の知り合いだった)だったんだけど、
たぶんそれもサッカー界への行動をしてなかったら、その先輩は紹介してなかったと思う。

後者も、まあもともと知っている人だったけど、もし自分がこういう行動をしてなかったら、
相手はおいらを「相談相手」としては認識しなかったと思う。


こういういい関係ができたのも、自分が夢に向けて行動をはじめたから、だと思う。
そして、それを共有してくれる人とつながりができた。
んで、その人たちから刺激をもらえる。


行動を起こしたが故の好循環、って感じ。


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「周りがなぁ・・・」ってのは自分もよく思うときがあるし、実際、会社時代とかはすんごい思ってた。
もう考えが根本的に違う、ってのはどうしよもなかったりするし。

でも自分が周りを変えることは、基本的には不可能。

できるのは自分が変わる(含:行動する)こと。

そうすると、環境が変わる。

そうすると、自分が会いたいと思う人に会えてくる。つまり周りが「変わる」。
(会う人が変わるという意味で、決して自分の周りにいた人の考え方が変わる、という意味ではない)

んで、結果として、それが自分に「心地よい刺激」となって返ってくる。


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昔から思ってることなんやけど、人間ってつくづく「環境の動物」だと思う。(人間だけじゃないかな)

やっぱ、周りの考え方に「同化」してくんよね、気づかないうちに。

そうやってかないと、日々毎日きびしいし、ね。


でも問題は、それが「なりたい自分」とかけ離れてる場合。


もちろん「多少の」我慢とか適応力は必要。


でも限度があるよね。


それがいきつくとこまでいくと、精神的にきちゃうし。


だからこそ、自分の求める「環境」に向かって「行動」するのは重要だと思うし、
それが唯一の答えなんじゃないかな、って。周りを変えるのは不可能だし。


だから、おいらは「目標に向かってがんばってる人」はすごく応援したくなるんよね。
それはすごく正しいコトだし、結果がでるとかってのは運もあるし、結果よりも
そうやってがんばってる「プロセス」にこそ価値があると思う。

だから冒頭の日記の人も、そのまま(頑張ってるのは知ってるからね)頑張ってほしいな、と。


と、ふと思い出した言葉。

「迷わず行けよ、行けばわかるさ」 by猪木(元ネタは違う人だけどw)

会社辞める頃、すげーよく頭にイメージしてたなぁ~って。


改めて自分に、って感じ。

投稿者 nakaita : 23:12 | コメント (3)

2007年01月14日

あけまして。。。

って今頃するやつはいないんすが、今年初エントリーということで(笑)

日本からマレーシアに戻って1週間。真冬から真夏にやっと慣れてきた感じでw


マレーシアで働き始めたんが去年の1/5だったから、あれから1年。


2年目のシーズンの開幕、って感じで、気持ちも新たに頑張りたい。


そして今日、家にネットが開通したんで、これからはもっと更新しようかな、って思ってやす。


今年もよろしくでっす

投稿者 nakaita : 22:57 | コメント (6)